結局は自分が決めたこと

仕事が楽しい、つまらない。
とか

結局考えてみたら、全部自分が決めたこと。
愚痴を言いながら、それで時間が過ぎていくのも
自分がそうするっていうことを決めたか、流れに任せるよと決めることを放棄したか。

愚痴を言っているだけの間は、遠巻きで見ている野次馬と同じ。

それが嫌なら、どうする?っていうアクションに落とし込むところに
力をつかって、アクションを起こす。

一人の力でも意外と組織を変えられるることもあったりします。
組織を変えた人とか世界を変えた人とかいますけど、
強い意志をもって一人から始めてやり遂げています。
そうすることが当たり前だよと疑いなく言い切れる人達です。

私も前まで愚痴を社外の人には言いませんが、社内ではよく言っていました。
愚痴をいいながら、どうせ誰かに言っても駄目だよと最後の方は諦めながら。

働き始めて時間が過ぎた後で言いたいことは言いましたが、
力不足で聞き入れてもらえるところまでは、行けませんでした。

全部自分の中で決める。誰かがなんとかだからじゃない。
基準は、組織や会社にとってどうなんだ。
言い換えれば、関わってる人達に自分の力で何を与えられるんだ?ってこと。

才能は誰にでもあるもんじゃないっていうのはあるけど、
才能と言えなくても、後天的に身に付いたものが皆にはあるはずで、
それをどう生かすのか。皆何かしらあるものです。

俺は力があるのに優遇されない。
仕事がつまんない。
優遇されたいだけならお金がもらえたりするような優遇されるところに行く。
仕事がつまんないなら、どうやったら楽しくなるか?考えて、上司に話をしてみる。
それをするかしないか決めるのも自分。

流れに任せて考えることを放棄したら、自分がそれを決めたんだから受け入れる。
それなりの給料を今の仕事でもらい続けるってことを決めたって。

要因は、外に求めることはあるかもしれないけど、
何を言っても、自分が全て決めたこと。

選択肢は色々世の中にはあります。それを見ようとしない人が多いだけで。
選択肢なんてないよと思えるときでも、あえて誰も選ばなかった予想しないところを
選んで輝いてる人がいます。

今の状態は、全部自分の決定の結果で、
自分が何を決めたのか?決めていないのか?
だとか考えると世の中の見え方が変わるかもしれません。

自分の中で完結する習慣を持つことって大事かなと思う今日この頃。