フレームワークってものについて最近思うこと

フレームワークって言葉は、色々なところで使われますし、
実際の価値より遥かに高い価値があると思われているなと思うことがあります。

正直、フレームワークは万能ではありません。
あくまで一つの手段に過ぎないと思っています。
使わなくてもいい状況であれば、使う必要はないかなというのが正直なところです。

開発で、フレームワークというと誰でも同じぐらいのレベルのものを提供することができる
平均化のために仕組みという感じにとらえられているかもしれません。

平均化っていいながら、どこからどこまでの範囲について平均化するの?
平均化ってことは、足し算して頭数で割ってという計算が入るはずですが、
足し算の対象になる数字はなんですか?平均化すると嬉しいですか?

結局目的があまり見えていない段階で、機械的フレームワークを適用だとか
言うから、おかしなことになる。

これは、ソフトウェア開発のフレームワークに限らず、思考のフレームワークについてもそう。
こんな風な流れになると、予想の範囲内の結果しか出せないし、想定から外れたら何もできない。

結局平均化するってことは、大きな減点を無くすってこと。
ただ、本当にいいものを作ろうと思えば、何かしら偏った加点が必要な箇所が出てくる。
これは、フレームワークじゃどうしようもないところです。

これを出来るのは、個々の人の力です。

だから人も見ていかなきゃ駄目で、ただ仕組みだけやって、
この通りにやれってだけでは、うまくはいかない。

フレームワークって、別にそれだけで価値があるわけではない。
うまく使うことで、価値を提供できるようになるもの。
ただの道具なんですよ。
だから、特別視するものじゃない。

自分で考えることを止めちゃ駄目ですよ。

皆思い込みの中で動いている。同じことをしているようで考えていることはバラバラ。
其の前提を意識した上でやっていかないと間違いに誰も気付かない悲惨な状況が多く発生してしまう。

フレームワークは、ただの枠組みに過ぎないし、限られた範囲の中で意味を持つもの。
結局、誰かがある場面の際に使用してうまくいったというものでしかない。